南北画の語義 |
南宗画 北宗画 南画とはもともとは南宗画と言われていて 対して北宗画と言う画もあります。 南宗北宗との区別は昔はありませんでした 中国の唐宋時代以来の画を論じた人は沢山いましたが、 南宗北宗という分け方をした人はいませんでした。 南宗北宗を初めて文字に現わして言った者は明時代末期の 「董其昌(とうきしょう)」です。 董其昌以前も世間では南宗画、北宗画と区別していたかもしれませんが、 画論んでこのことを現わしたのは董其昌が初めてでした。 あるいは董其昌自身が唐時代以来の画を南宗、北宗というふうに 二大別をして考えたのかもしれません。 それではなぜ南宗、北宗という言葉を用いたかという問題があります。 これまで南宗、北宗ということの意味について、 文字のまんまの南北という意味から推測して、 中国の南方の人が描き始めたものを南宗といい、 北方の人が描き始めたものを北宗というように解釈した人もいます。 あるいはまた北方の景色を描いたものであるからそれを北宗といい、 南方の景色を描いたものであるから南宗という。 そういうようにいった者もあります。 けれどもこの両様の説はまったく一顧の価値もないくだらない解釈であります。 それならばどういう意味で画に南宗、北宗と言う言葉をもちいたかと申しますと、 画がこの二派に分かれたのは、唐時代の玄宗皇帝の時代からです。 ちょうどその前後のころに禅宗のほうで、また南宗、北宗、という 二派に分かれました。 それに基づいて画を論ずるのにも禅の南宗、北宗という言葉を適用したわけであります。 禅宗での意味は、禅道を修めるうえで帰着するところは南宗も北宗も同様なわけですが、 その指導をする方法が違います。 その方法が南宗のほうでは頓悟の法を用い、北宗のほうでは漸悟の法を用いる。 そこで南頓北漸(なんとんほくぜん)という言葉があります。 この意味がやや画の南北両派に幾分か当てはめうる点があると思います。 禅学において修行する時分に声聞縁覚(しょうもんえんがく)に属する両様の 経文を十分に学んで、そうして修行を積んでやらなければならぬのが当たり前です。 ところが南宗禅のほうではそういうふうの修行を必ずしも経なくても、 突然にでも大悟徹底すればただちに菩薩の行位にはいることができるという。 そういうふうにただちに入った菩薩行位を称して、直入菩薩の行位と言います。 修学の順を経ないで入るのである。 これは南頓すなわち頓悟禅の建前です。 北宗のほうは十分に修学の順を経て、 浅いところからだんだん深い所に入って、声聞縁覚の関係の経文を十分学んだうえで 始めて菩薩行位に入ります。漸漸に仕上げてゆくので漸悟と言います。 画のほうについては、北宗のほうは描く法が非常に厳重です。 その描く法を長年かかって修行しないと一人前の画家になれない。 線一つ引いても線質に厳格な違いや名称があり、そのような 複雑な画法の修得が必要なため、急速に大家になるわけにはまいりません。 南宗画のほうはそういうむずかしい条件はありません。 北宗は大いに伝統的に進んでいるのに反して、南宗画のほうはほとんど 描き方のうえに伝統というようなことは論じません。 作家がそれぞれ勝手に描けばよいので、ただ画について十分の会得をして その神妙な所に達しさえすれば、どういう筆使いで描いてもよろしいです。 それですから弟子は必ず師匠のとおり描かなければならないということは ありません。 ゆえにその状態が北宗画のほうは禅宗の漸悟のほうに似ており、 南宗画のほうは禅宗の頓悟のほうに似ております。 この点が画に対して禅宗のほうでいう南宗、北宗という言葉を用いて区別 することになった理由の一つとして意味があると考えます。 それよりほかに画に対して南宗、北宗ということを称えだしたという深い 意味は毛頭ないはずです。 |
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