雪舟絵画の見方 その1


                                平成14年5月31日  長尾正大

まず(山水図 カタログNo94)絶筆と言われる山水図から説明します。
これが絶筆と言われる所から、雪舟の絵に対する考えとして、
絵とは目に見える実景をうつすことから始まるが、
結局は四角の画面の中で絵を 四角い平面の世界として完結させる為に
岩や樹木の形を使い、画面構成をすることができてなければいけない、
または 目に楽しく見えるように構成さえ出来ていれば良し、
といった考えでは無いだろうか?と推測できます。

雪舟の画面構成ですが、基本的に水墨画の画面構成の考え方と同じで
墨の濃淡、物の配置の之の字的な配置など 基本的なことを踏まえてます。
その上で 雪舟独特で面白いと感じるのは、飛び出す絵本のような奥行き感です、

図1

絵を見ると描かれている物(岩や樹木など)に
奥行きを持たすことに重きを於いて考えている作者を感じることができます。

平面で右、左、右、

図2

などのように、画面に流れを作り、勢いを出すことは水墨画で
基本的な構図の作り方なのですが、
雪舟は飛び出す絵本のように立体感を出し、奥行きにも 之の字的な流れを考え
四角い平面のはずの絵が、立体的に作られてる所に、面白さがあります。

馬遠、夏圭、周文など雪舟がお手本にしたであろう、作家達の作品にも
遠近感はありますが、それはいろんな絵の見せ方の一つの方法と言う感じで
極端に目立たず普通に見えますが、雪舟は取り分け絵が飛び出すことにこだわったのか、
意識されすごく強調されてる感じがします。

岩などの縁取りの線が、先輩の作家達より太く強調されていて
それにより、前後にある物がハッキリ区切られることになります、
それと、墨の濃淡で手前の物と 後ろの物に変化をつけ浮き上がらせる方法を
併用し カッチリ切り絵のように浮かび上がらせることに成功しています。
又、一番暗くする面は塗りつぶしたような真っ黒の墨で色を付け、一番薄い所は紙の白で
そのことにより 墨の濃淡のグラデーションの変化が増えることになり
画面上の墨の濃い薄いの差が大きく 見る物に強烈な印象を感じさせることになってます。


あと、初めの方で書いた、「目に楽しく見えるように画面構成さえ出来ていれば良し、
といった考え」をあえて説明すれば、
他の山水図の解説などで見られる、「水面の手前に遠景の描き方で山を描いている
、右下に遠景の樹木を描いているのでおかしい」という意見に答える形になるが

たとえば、近景の山 遠景の山、樹木に建物、それらを雪舟の時代の絵のルール
(実景を写すと言うことに於いての図の描き方)に乗っ取ってかいても、
四角の中に閉じ込められた平面の絵として、
目で見て楽しめなく飽きが来るようではダメな絵で、
逆に、雪舟の時代の絵のルールから外れるようなことがあっても、
四角の平面に閉じ込められた絵が 見る人を楽しませるように描かれていれば
それはすばらしい絵だと言えます。

弟子に送った、破墨山水図(カタログNo87)はそのことを伝える為の
わかりやすい絵では無いかと思えます。
何を描いてるのかはっきりせず、どこの風景かもわからず、
しかし、画面構成の面に於いて 墨の濃い薄い 形の変化、
「記号化された構成物だけで、こんなに面白い絵が描くことができるので
物に捕われ過ぎてはいけないよ」と言う、
弟子に対するメッセージ、雪舟の納得するレベルに達した弟子に伝えた
奥伝ではないだろうか、と思えます。

いろいろ雪舟の絵を見ると
理屈で考えた、遠景の山がおかしな場所にあるというのは 
「どちらでもいいことである」と雪舟は言ってるように感じます。

上で書いたことを、頭に置きながら
山水図の雪舟が見る人に こう見て欲しいと思ってると思われる目線の動かし方は、
立体的には右下の山道のはじまりから
手前左下に黒くはっきりした岩があります、そこから右上に人を見ながら
三角の岩が右側にうつり、次に影の建物 まん中の松ノ木の裏を回り、左の画面の端にかかった東屋
東屋から、水面手前の遠景の山から小さいが濃くはっきり描かれた舟に、最後落款印。
平面的だと 松ノ木の後 右の岩山をにも目を移すこともでき
画面を目線でなぞりながら、行ったり来たりして楽しめる。
雪舟が「目線でなぞりやすく描きましたのでよろしく」と言ってる感じがします。

右下の遠景風の樹木を描くアクセントで左上の落款がずっこけることなく
落ち着いて見えます。
右下から始まる山道にそって、細かい岩や、人、建物、松ノ木など細かく筆数が多くなってるので
左下の黒い岩の左側、右の三角の黒い岩、など大きく空間を残し、中心の山道付近をよけいに
目立たせるようになってます、仮に左の空白の空間、右の三角の岩に細かい筆のタッチで
何か描き足すことをすれば、画面全体の力が同じになり散漫で退屈な絵になってしまいます。

こういうバランスのとれた絵を、自分の感覚にしてしまい、事も無げに描いてる、
今で言う右脳で描いてるのだろう、
絵描きとして なかなか達することのできない高みに登り詰めてるのを感じさせる。
これが、雪舟以後の歴代の有名な水墨日本画家が、お手本として模写しまくり
自分に取り込みたいと必死になった上手さなのであろう。

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(c)Nagao Masahiro